パラオ共和国への旅

2013年09月20日

9月28日より10月3日までの間、パラオ共和国独立記念式典に参加してきます。

日本航空高等学校の2学年の生徒24名並びに能登空港キャンパス39名を引率し

盛り沢山の行事に参加しながらサンゴ礁の美しいロックアイランド観光などを楽しみます。

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【日本の伝統的な民主主義】

 イギリスの小説家、評論家であるG・K・チェスタトンは「民主主義において現在生きている人々の意見を取り入れる民主主義を横の民主主義という。それにたいして、死んだ人々(=祖先)がどのように考えるかを考慮に入れる民主主義が、縦の民主主義である」と述べています。

 日本人は「ご先祖様に申し訳ない」「おじいちゃんが生きていたらなんと言うか」「おやじが生きていたらどうしただろう」というようなことをよく言い、死者の視点でものを見ようとします。日本には伝統的に縦の民主主義があると言えるでしょう。

江藤 淳氏
「生者だけが物理的に風景を認識するのではない。その風景を同時に死者が見ている。そういう死者の魂と生者の魂との行き交いがあって、初めてこの日本という風土、文化、伝統が成立している」

柳田 國男氏
「日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠くへは行ってしまわないという信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている」

 日本人は死者の魂と共生しているのです。正月にはご先祖の霊が歳神様となって家にやってきて一緒に過ごします。お盆が来れば迎え火を焚いて子孫はここにいますよとお報せしてお供え物してご先祖様と対話し、心を通わせます。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」で有名な「葉隠」に次の一節があります。

「義より上に道はあるなり。これを見付こと容易に成りがたし。高上の叡智なり。これより見る時は、義などは細きものなり。こはわが身に覚えたる時ならでは、知れざるものなり。但し我こそ見付くべき事成らずとも、この道に到り様はあるものなり。そは人に談合なり。たとへ道に至らぬ人にても、脇から人の上は見ゆるものなり。碁に脇目八目と云うが如し。念々非を知ると云うも、談合に極るなり。話を聞き覚え、書物を見覚ゆるも、我が分別を捨て、古人の分別に付く為なり。」

「正義」という分別に対して自分の信じる正義が確認され、実証されるためには、第三者の判断をまつという民主主義の原理が入っています。「談合」というのは人と話し合うことです。「古人の分別に付く」というのは過去の人の考えに従うということで、ここに横の民主主義と縦の民主主義が見てとれます。

 日本には伝統から生まれた横の民主主義、縦の民主主義があったのです。縦の民主主義は神の代まで行きつきます。

 現代人はとかく「今だけ、自分だけ、カネだけ」に陥りやすくなっていると思います。家庭では、ご先祖の霊をお迎えし、対話する。そして自分を見つめなおす。靖国神社へいき、公に殉じた英霊に感謝申し上げ、英霊が今の日本を見たら、どう思うかを考え、自分が公に奉仕するには何ができるか、どのような心持でいればよいかを考える。日本のよき伝統に従いよい家庭、よい国造りに励みたいものです。

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日の丸行進

パラオ共和国での行動予定

主な参加行事

靖国神社参拝

遊就館見学

ペリリュー神社例大祭参加

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南洋神社例大祭参加

パラオ共和国大統領主催夕食会参加

パラオ共和国独立記念式典参加

パラオ高校とのスポーツ交流会参加

記念式典では本校、空手道部が演武を披露します。

交流会では男女がバスケットボールの試合を実施します。

パラオの歴史と文化

パラオ共和国

(パラオきょうわこく、パラオ語: Beluu er a Belau、英語: Republic of Palau)、

通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国で首都はマルキョク。

2006年10月7日に旧首都コロールから遷都した。

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 歴 史

1783年  イギリス軍「アンテロープ号」がアラカベサン沖に座礁そこから

      西洋との交流がはじまる。

1885年  スペインの植民地となり 1899年ドイツに売却。

1914年  第一次世界大戦が始まり日本はパラオを含むドイツ領ミクロネシアを占領。

1920年  日本の統治が始まり 1922年南洋庁の設置(コロール)、

      日本の教育が行わ れる。

      パラオ人に日本語の教育や文化をはじめ産業などを提供。

 1945年  第二次世界大戦終了後までの31年間、

      日本は当委任統治領として自治してきた。

      悲しい歴史だが第二次世界大戦では日本軍と米軍との激しい戦いで

      ペリリュー島1万人・アンガウル島1千八百人で米軍と戦い、

      日本軍は島民を全員避難させ激戦に臨んだが

      最後はほぼ全員が玉砕(戦死)した。

       ペリリュー島西側の真っ青なビーチが血でオレンジ色に染まり

      今でも「オレンジビーチ」と呼ばれている。

      第二次世界大戦が終了後、国連太平洋信託統治領として

      アメリカの統治が始まり、1981年パラオ憲法が発布され自治政府が発足した。

1993年  第4代大統領クニオ/ナカムラが就任(父:三重県伊勢出身)

 1994年10月 1日パラオ共和国として独立。

      12月に国連に加盟。

        パラオの空港がある島「バベルダオブ島」と町がある「コロール」間を渡す

        橋(KBブリッジ)が 1996年崩壊し、日本政府がODAで仮橋を設置。

        鹿島建設が 5年の歳月をかけて橋は完成。

  1999年  台湾とも国交を結び、現在、日本・台湾・韓国を中心に観光客が

      多く訪れる南の島の楽園に位置づけられている。

 2002年 1月 11日に開通式典が行われ

              正式名称「ジャパン・パラオフレンドシップブリッジ」とされた。

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日本の代表として心をこめて参加してまいります。

日本航空高等学校

校長 篠原雅成

 

 

 


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